オゾウゾ山遭難報告書(インターネット登山の功罪)

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●日時

 2002年2月25日 14:30頃

●場所

 岐阜県 大野郡 白川村 オゾウゾ山(1085m)

●メンバー

 A他、十数名(不詳)

●遭難発生時の状況

 大半のメンバーは成出ダムから東尾根を登って山頂に達した。(別ルートからの参加者も数名) 久し振りに再会したメンバーは大いに盛り上がり、かなりの量のアルコールも手伝って山頂には3時間近くも滞在してしまった。時刻も迫り参加者は三々五々、下山を開始した。Aを含む4名のみ、登りすがりに偵察した隣の北尾根を下山路に選択することを決めた。

 ところが下山直後、東尾根と北尾根の分岐点(下の写真の頂上付近)を約数十m過ぎた所で、Aは配車の都合を理由に往路である東尾根に向けて北斜面を(写真の右から左へ)トラバースし、東尾根の稜線手前、上部鉄塔の約50m上の狭い谷で滑落し、そのまま約350m下流の巨木に激突し亡くなった。

オゾウゾ山手前の分岐点
正面の小さな谷を滑落した 正面の小さな谷を滑落した
左が東尾根、右が北尾根、正面の谷を滑落した。(R156より撮影) 現場は、鉄塔の右上部の狭い谷(2003年2月8日撮影)

●遭難発生時の行動と事故原因の推定

 目撃者はいない。同行者の証言と地形からの推測。技術的にとくに難しい所は無くピッケルを持参せずに、トレッキングポールを使用していた為に滑落に対して制動を掛けられなかったものと考えられる。登山靴+アイゼンではなく、ピンスパイク付き長靴を使用していた影響も大きい。

 どちらの尾根から下山しても大差はなく、なぜ急にこのような衝動的行動に移ったのかは不明。考えられるのは、鉄塔という比較的明瞭な目標があったことにより、かえってトラバースという安直な行動が誘発されたのではないか?

●遭難の背景と間接要因

 この山行には、はっきりとしたリーダーはいなかったようである。インターネット(メール・HP)やTELなどにより、情報を聞き付けて参加したメンバーがほとんど。遅れて参加した人もいれば、下山時にはそれぞれの都合により、三々五々に行動していることから推測できる。事故発生を知らずに、そのまま帰宅したメンバーもいるようである。

●防止策

 2月という時期を考えれば、冬山の装備が必要であり、低山とはいえショートカットせずに、尾根の分岐まで登り返すのが基本。またピッケルがなくても、手足を使った制動方法をマスターしておれば、防止できたかもしれない。

●今後の課題

 組織に束縛されることを嫌い、集団規範を理解しない中高年が増えている。このようなパーティとしての形態をなさない登山が、ますます増加するものと思われる。インターネットの有効な活用方法が望まれる。

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